震災から12年目。特に何かの節目というわけではないけれども当時のことをメモ的に残してみる。

発災当時

発災の瞬間、2011年3月11日14時42分は実家近くの洋服屋にいた。

父親が救急車で運ばれて入院になったと連絡を受けて1、名古屋市内の職場から病院に向かう途中、入院に必要なものを購入して会計をしようとしていた所だった。

異様に長い揺れの中で店員さんと顔を見合わせていた記憶がある。

この時点では地震の規模も震源地もわからなかったので危機感のないツィートをしていた。

その後、TLを見ると東京の人たちが大騒ぎになっていて、しかも震源地が宮城県沖と知ってただ事ではない雰囲気を感じた。

病院に向かう車のラジオで10m級の津波の予想が報じられるに至って、大勢の人が亡くなることが容易に想像できてつらい気持ちになった。病院に着くと、テレビで津波の映像が流れていた。

この日は入院の対応に忙しく日中はあまりTLを追えず、自分で呟くことも無かった。

この日入院した父親は数か月後に亡くなり、自分にとっての震災は父親が亡くなった年として記憶されている。

その後

震災の翌年からは1年に1回くらい、1人で東北をぶらぶらするようになった。

特に意識の高い目的があったわけではなく、現地で車をレンタルしてひたすら下道を走って景色を見たり、行く先々でご飯を食べたりしていた。

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そういう一人旅を2016年くらいまでやっていた。


  1. 前年にガンが見つかって、この時点でそれほど長くないと見られていた。実際これが最後の入院になった。 ↩︎